癒しの空間工房「楽園」

 澄んだ空気、小川のせせらぎ、若葉のさざめき、そして時折聞こえる和やかな談笑。そんな穏やかな時間と共に、オーガニックジャム工房「楽園」は歩んできた。近所の気のあったお母さん達と奥様でつくる、手づくりの良さを大切にした小さな小さな工房。だが、小さいからこそ、手が目が行き届く。日本で初めて有機JAS認証をとったジャム工場としての評価は高い。
「地上の『楽園』をイメージしました。食べた方にそんな感じを味わってもらえたら、本望ですね。」河地さんは、そう語る。

癒しの空間工房「楽園」

 彼が有機農業を始めて、かれこれ25年になる。18才で農業を卒業し、夢を抱いた彼が目指したもの、それが「農薬を使わない農業」だった。
 日本は高度成長時代を経験し、経済のあおりを受けて合理的で効率よく大量生産できることが美徳とされていた。反面、「複合汚染」の発表などで環境問題への問題提起がされることはあったが、まだ世間は模索段階であり、彼はいらだちを感じていた。しかし、河地氏は決して信念を曲げなかった。それは若くしてこの世を去った、父への想いが根強くあったからかもしれない。
「父が当たり前に農薬を使っていたこと。それが多少なりとも体に影響していたらと考えると、とても農薬を使う気にはなれなかったんです。」
 かくして彼は、有機栽培一筋の人生を踏みしめて行くことになったのである。

癒しの空間工房「楽園」

 有機農業の道は険しい。手はかかる、時間がかかる、おまけに量産はできない。しかし、そんな彼を支えてくれたのは家族だけではない。彼と同じように農薬や環境問題への疑問を持った敏感な人達。有機農業家の同志、それに主として生協の方々の陰の力に支えられてなんとかやってこれたのだ。自分だけの力ではないことは、肝に銘じている。
 しかし、時代は変わる。次第に環境汚染が声高に叫ばれはじめ、医学の進歩と共にアレルギーの研究が取りざたされるようになってくると、波に乗って「無農薬」「有機栽培」を表示するものが増え、長年にわたって苦労してきた有機農業家の産物との判別ができなくなってきた。ついに政府も対策を講じ、「有機JAS認証制度」を開始させたのは2000年のことである。

 認証を得るには、数々の書類が必要となる。不慣れな仕事ではあったが、有機一筋の成果が認められるかがこれにかっているかと思うと、努力せずにはいられなかった。2001年、苦労の甲斐あって、農作物の有機認証が得られる。至上の喜びを感じた時だった。だが、彼の望みにはまだまだ先があった。

             癒しの空間工房「楽園」
「どうせなら、みんなの先駆けとなる仕事がしたい。有機農業家として、誇れるような。」
 実は彼は数年前より、自分の農園で採れた有機栽培の果実を有効利用してジャムにし、販売していた。これが「オーガニック」として認められるには、含まれる砂糖に至るまで有機栽培されているものでなくてはならない。
 彼の砂糖探しが始まった。しかし考えていたより、ことは難航した。当時日本には市販の国産オーガニックシュガーがなかったのである。いろいろなつてを頼りに代わりになりそうなものを試してもみた。だが、味の点や価格の点などを考慮すると、商品化には至らなかった。時間は悪戯に過ぎていくばかり。さすがの彼も断念しかかった時、朗報は突然訪れた。
「国産ではないけれど、日本でオーガニックシュガーとして認められているものならありますよ。」
 ワラをもすがるような気持ちで、いわれたブラジル産のオーガニックシュガーを試してみた。「これはいける!」
 調理師免許を持つ妻と共に試行錯誤の末、できあがった珠玉の作品、それが「楽園」。ひとくち味わえば、自然の醍醐味に触れられる。豊かな大地に澄みきった空気、そして地上のパラダイスを感じてもらえるように、夢を託して命名した。国産初オーガニックジャムとして認可されたのは、砂糖探しに明け暮れて約1年後の2002年10月のことだった。

 火の国熊本の大いなる自然の中で、今日も彼は畑で汗をぬぐい、土と語り合っている。地球に優しい豊かな土づくりを心に描きながら…。